2015年02月04日

証明2

前回に引き続いて、ひとこと。

民事裁判の中に、動産引渡請求訴訟という類型があります。

読んで字のとおり、相手に対して動産を引き渡すよう求める裁判です。
ちなみに、「動産」とは不動産以外の「物」全般を指します。

裁判が始まると様々な問題が露呈します。
その中でも、「所有権の証明」はやっかいです。

「返せ!」と訴えたら、「これは俺のものだ。返さない!」と反論されてしまうわけです。

前回、“基本的に、自分が主張している自分に有利な事実は、その者が証明することになります。”と説明しました。

今回の場合、まずは、「私の物を返せ!」と言った原告が、自分の所有物であることを証明しなければなりません。

自動車なら登録制度があるので、所有者はすぐに判明します。
しかし、登録制度などなく、同じものが世界中にたくさん存在する場合、どうでしょう。

買った時の領収証を示しますか?
毎日身に着けていたことを友人に証言してもらいますか?
自分しか知らない特徴(キズやヘコミ)を言い当てますか?
事前に名前を書いておけばいいのでしょうか?

自分の身の回りの物に注目して、想像してください。
「これが自分の所有物であること」の証明は、思っている以上に難しいはずです。


前回は「ないことの証明」が難しいというお話でした。
今回は「あることの証明」であっても難しいこともあります、というお話をさせていただきました。

日常生活であれ、裁判であれ、自分の言い分に根拠(証拠)があれば、説得力が増します。

しかし、その証明は本当に必要なのでしょうか。

不要な証明を自らに課して、自分の首を絞めていませんか。

実はその時点で勝負が決していることも多々あります。

誰かと交渉したり、口論になったりしたときは、このことを思い出してください。





posted by しんたろう at 00:00| 日記

2015年02月03日

証明1

さて、ひとこと。

「悪魔の証明」という言葉、聞いたことないでしょうか。

定義はいろいろあるようですが、簡単にいうと、「ないことの証明は極めて困難であり、あることの証明を求める方が当事者にとって公平」という考え方です。

たとえば、2人の学者がこんな言い争いをしています。
A「滋賀県には天然の鰻が今でもいる。」
B「滋賀県にいた天然の鰻は絶滅した。今はいない。」
A「じゃあ、証明してみろ。」
B「そっちこそ、証明しろ。」

鰻がいる派のAは、滋賀県内のどこを探してもいいですが、一匹でも天然の鰻を見つければ、証明に成功したことになります。

対して、鰻がいない派のBは、滋賀県内をくまなく探し、どこにも天然の鰻が生息していないことを確認しなければ、証明が成功しません。

あることを証明するAよりも、ないことの証明をするBの方が、証明の負担が重いです。
ですから、Bに証明責任を負わせることは不公平になります。

これが、冒頭の「悪魔の証明」です。

昨年世間をにぎわせた「STAP細胞問題」でも少し話題になったようです。
−STAP細胞がないことを証明するのか、それもと、あることを証明するのか−
(科学分野の「新発見」にまつわる議論なので、同列に語ってもよいのか、少し不安ですが・・・)

もちろん裁判においても、悪魔の証明は問題になります。

基本的に、自分が主張している自分に有利な事実は、その者が証明することになります。
しかし、なかには、それが「ないこと」である場合もあります。
そのときは、対立当事者が「あること」を証明することになります。

この部分を誤ってしまうと、しなくてもいい「鰻の不存在確認」を、いつまでもやる羽目になってしまいます。

つづく


posted by しんたろう at 00:00| 日記